連載|旅フォトエッセイ『PULA!〜アフリカの魔法のオアシスへ〜』第21話
*生まれて初めて見るヒョウのハンティング。そのヒョウの前にアフリカ最強のハンター・リカオンが現れ、私のファインダーの中で「狙う側が狙われる側」へと一瞬にしてひっくり返った。
子供の頃から憧れていたアフリカへ、フォトラベラーYoriがカメラを担いでついに足を踏み入れた。
日本を代表する人気自然写真家で、2022年には世界最高峰と言われるロンドン・自然史博物館主催のコンテストで日本人初の最優秀賞を受賞するという快挙を成し遂げた高砂淳二さんと一緒に、サファリを旅する大冒険。
南アフリカから、ボツワナの世界遺産・アフリカの魔法のオアシス・オカバンゴ デルタへ、アドレナリン分泌過剰な日々の珍道中を旅フォトエッセイにして連載しています。
未発表写真もたっぷり掲載!
【第1話はこちら】
”PULA”の奥深〜い驚きの意味は第7話でご紹介しています。
スポンサーリンク
Episode 21
これぞサファリのサプライズ!
午前中はオアシスのうどん屋でゾウの食べっぷりに盛り上がったが(第20話)、その場所はキャンプ場までかなり離れており、ランチのために戻る時間が足りなかった。
しかし、機転を利かせた焚き火料理人ムーサ隊が移動キッチンと化して、中間地点の水辺の木立の中に青空レストランを開いて我々を迎えてくれたのだ。
遠くにカバの姿が見え隠れしており、一瞬あの「プロペラ付き糞霧器」を思い出してしまったが、水の煌めきを見ながら木漏れ日が戯れる涼しい木陰の中で頂く食事はやっぱり最高だ。
私の住むシドニーでも言えることだが、乾燥した地域というのは太陽が照りつけ気温が高くなったとしても、日陰に入ればそこは別世界の爽やかさ。
呼吸が重くなり汗が滲み出て不快だということはない。
もし「夏と冬、どっちが好き?」と聞かれたら「日陰限定・シドニーの夏」と答えたい。
それほどに夏の日陰は快適なのだ。
しかし日陰からは出られない。
私の場合(日本では問題ないのだが)夏場に日焼け止めを塗らずに5分ほど日差しを浴びるだけで湿疹が出てしまい完治するまで数週間かかるので、生肌を太陽にさらすのは恐怖に匹敵する。
ゾンビや吸血鬼の気持ちが良くわかる。
オーストラリア上空は有害な紫外線を吸収してくれるオゾン層が人間の使うフロンガスによって破壊され、その層が薄い。
そのため紫外線が十分に吸収されず、地上まで降りてくる量が他国より多いのだそう。
天然のサンスクリーンとも言えるメラニンの生産量が少ない白人が多く住んでいるのも理由の一つだろうが、世界がん研究基金の統計によるとオーストラリアは皮膚がんの罹患率と死亡率が世界で最も高いという。
そのためオーストラリア政府は1980年代に子供たちへの啓蒙活動として「スリップ・スロップ・スラップ(Slip, Slop, Slap)」というスローガンを掲げた紫外線対策指導を始めた。
最近では2つ項目が増えて5Sになり、学校でも徹底させているようだ。
- Slip 長袖を着よう
- Slop 日焼け止めを塗ろう
- Slap 帽子を被ろう
- Seek 日陰を探そう
- Slide サングラスをかけよう
私には湿疹の恐怖があるから紫外線対策を忘れないでいられるが、過度の紫外線は誰にでも悪影響を及ぼすので気を付けるに越したことはない。
話がそれてしまったが、今いるのはオカバンゴの青空レストラン。
水辺で木漏れ日を楽しみながら爽やかな風に肌を撫でられる気持ち良さは、日陰ゾンビ女にはたまらない。
こんな木陰の恩恵を頂くと、見えない存在への感謝の気持ちが自然と湧いてくる。
これこそ第10話で触れた「お陰様」なのよね。
食事の後、まったりした気分のまま午後のゲームドライブへと出発した。
人間の順応性なのか、はたまた私の図々しさなのか、でこぼこ道を進むサファリカーの揺れの中でうとうと居眠りをしてしまった。
目を開いた時にはもう木立からは抜け、車は平坦な大地を動物を探しながらゆっくりと進んでいた。
脳はまだ半分夢の中で、ぼんやりしながら辺りの景色を眺めていると、道の脇にまるで何かのモニュメントのように鎮座する大きな蟻塚が目に入ってきた。
高さ2メートルを超えるであろうその蟻塚を横切ろうとした瞬間、塚の足元に何か小さい、明らかに異質な物体がチラッと見えた。
黒い水玉模様の白くフワッとした何か。
「ス、ストーップ、何かいるー!」
慌ててサファリカーを止め蟻塚の裏に回り込んでもらうと、なんとそこには優雅に体を横たえた1頭のヒョウがいたのだ。
これぞサファリのサプライズ!
フワッとした水玉模様の正体は、長い尻尾の先端部分だった。
カテンボによると、耳に傷痕が残っているから狩りの経験を持つ3歳以上のメスらしい。
たった数メートルの距離で、しかも樹上にいることが多い野生のヒョウを同じ目の高さで拝める幸せ。
あまりの感激に今すぐ車から降りてなでなでしたい衝動に駆られる。
鋭い目は黒いアイラインでキリッと縁取られ、ピンと張った長い髭は陽光に触れる度にキラリと光る。
全身に咲いた梅花紋は、ヒョウが呼吸するリズムでその花びらが優しく揺れる。
傷付いた両耳には野生の貫禄が滲み出ており、どこもかしこも美しい。
黒いアイラインの下には1本の白いラインが添えられているが、それは夜行性のヒョウが暗がりで狩りをする際、光を反射させ夜間視力を向上させるためにあるのだとか。
逆に昼行性のチーターの顔には涙が流れたような黒いライン「涙状線・ティアーズライン」があるが、それは太陽光の反射を抑え、目を守ったり、狩りの時の眩しさを軽減させる効果があるのだそう。
何事にも存在する理由があるのだと感心してしまう。
よくアメリカ・メジャーリーグの選手たちが太陽光やスタジアムの照明の眩しさを軽減させるために目の下を黒く塗っているが、あの「アイブラック」はきっと動物たちから学んだ知恵なのだろう。
西洋人の彫の深い顔の作りは反射面が広いのでより眩しいらしい。
でも多くの日本人はのっぺり平らな顔族だからそんなに反射の影響は受けないので安心だ。
いや、残念だ。
しばらくするとそのヒョウは起き上がり、曲線だけで作られたしなやかな体を我々に誇示するかのように大きな伸びをして、草原へと歩き出した。
我々も後について彼女の行動を観察することになった。
実はこのヒョウ、このあと何度も「野生として生きる厳しさ」を我々に見せ、旅のフィナーレを飾ってくれることになる。
高級ブランドを彷彿とさせるエレガントでゴージャスで凛とした気品を持つメスヒョウなのでフランス語が似合うかな?
君を「パンテール嬢」と呼ばせてもらおう。
「ヨリさん、よく見つけたね。もうアフリカに住んでガイドになった方がいいんじゃないの?」
「そーだそーだ、なれるなれる!」
と皆で無責任なことを言って私をそそのかす。
オンリー山に至っては
「うちでボツワナ支社を開いたら、現地日本人ガイドになりませんか?」
と言い出し、話は具体的な方向に流れていく。
上手にパンテール嬢を見つけられたのは、ぼんやりしていて五感に余計な力が入っていなかったからなのにな。
シドニー空港の出発ロビーで、日本にいる母と電話で話したことを思い出した。
彼女の心配は「アフリカが気に入って、現地で仕事をみつけたから帰らないとか言い出しそうだから」ということだった。
これは案外いいところを突いていたのかもしれない。
いや、それはない。
オーストラリアに移住したことですら、風呂敷広げ過ぎちゃって将来どうやって畳むのか、それとも畳まないのかあれこれ途方に暮れることがあるというのに、さらに遠いアフリカまで広げるなんて。
と思いつつも「動物の足跡の形、全部ちゃんと覚えられるかなぁ」なんて考えてしまった自分がいたりする。
いやいや、ないから。
火花散る瞬間
パンテール嬢は、周囲を射すくめるような視線で獲物を探しながら草むらの中を歩いていく。
低木を見つけると2本足で立ち上がりその中を覗き込んだ。
大きな獲物にありつけない時は代わりに小動物を捕って飢えをしのぐそうだが、何も見つけられず木から離れる姿がせつない。
そんな様子から、パンテール嬢は数日間空腹が続いているようだとカテンボは言った。
ヒョウが狙いたいのはインパラだ。
シマウマは個体数が多いが体躯が大きすぎるし、子を狙うにしても親たちが隙なく守っており、下手したら強烈な後ろ足蹴りを食らいかねない。
パンテール嬢はインパラが草を食んでいる広い草地へとゆっくり向かっていった。カテンボが「ハンティング始まるかも」と呟いた。
こんなにお腹を空かせているのだから、インパラには悪いけれど何とか仕留めてほしい。
オンリー山「えー、ヨリさんはヒョウ側なんですか? 僕、インパラ側」
ヨリ「うん、私、ヒョウ側」
スナイパー「僕も、ヒョウ側」
シショー「俺、ヒョウ柄」
笑っている場合じゃない。
パンテール嬢が1頭のメスのインパラに狙いを定めたらしく、耳をキリッと前方へ向け低い姿勢で構えた。我々もカメラを構える。
空気が張り詰めてくる。
嬢は忍び足で距離を縮める。
来るぞ。
後ろ足を足踏みさせ、飛び掛かるタイミングを計り——ダッシュ!
生きるために命と命が火花を散らす瞬間だ。
パンテール嬢はインパラの前方から仕掛けた。
素早く攻撃をかわすインパラ。
嬢は1メートルもある長い尻尾を振り上げ、急角度の方向転換をキメてインパラに大接近。
一瞬2頭が交わったかのように見えたが、インパラは最後のひと蹴りで大きくジャンプし鮮やかにその危機をすり抜けていった。
残されたパンテール嬢は悔しさのせいなのか、気持ちの切り替えの早さなのか、何事も無かったかのように歩き出した。
ペットの猫は何か失敗すると毛繕いをしたり爪研ぎなどをしてごまかしたりするが、それがまた可愛いのだが、パンテール嬢はそんな転位行動は見せず、他を寄せ付けない貫禄を保ちながら歩いていった。
目の前で繰り広げられたリアルなハンティング。
野生で生きることの激しさと厳しさを痛感させられる鋭い火花だった。
パンテール嬢、危機一髪
空腹が満たされずにいるパンテール嬢は再び狩りに挑戦しようとしているのか、大きな倒木の上へ登っていった。
見晴らしの良いその場所から辺り一帯の様子を見て、狙える獲物がいないか探っているようだ。
夕刻を迎えるこの時間帯は狩りが活発で、獲物を物色する数頭のリカオンも遠くに姿を現した。
日本ではリカオンを飼育している動物園が数か所しかないので日本人には馴染みが薄い。
しかし彼らはハイエナに勝る最強のハンターであり、アフリカを代表する動物でもある。
狩りの成功率というのは、ヒョウのように単独でするかチームでするかで変わるだろうが、リカオンはチーム方式で狩りをし、その成功率は8割に達するという。
獲物を執拗に追い回し疲れさせ追い詰め、容赦なく集団で襲いかかり、獲物が生きたままその場ですぐに食べ始める。狙われたら最後だ。
そのリカオンが、倒木に立つパンテール嬢を見つけた。
1頭、2頭、わらわらと4〜5頭集まり、嬢を樹上に封じ込め捕らえようとし始めた。
木に登れない彼らは悔しげに「ピョーン、ピョーン」と高く跳ねて彼女を追い詰める。
私のファインダーの中で「狙う側が狙われる側」へとひっくり返った。
パンテール嬢に情が湧いている自分には、リカオンのジャンプが悪魔のあざけりにしか見えない。
(やだやだやだ。殺されちゃったらどうしよう)
これは競合を減らすための戦いで、リカオンが肉食動物のヒョウを倒したとしても食べることはないという。
数減らしのためだけの理由で命の火花をスパークさせてほしくない。
嬢は牙を剥き樹上から彼らを威嚇するが、リカオンたちは全く怯まない。
いくつもの黒い大きな楕円の耳が倒木の周りをうろうろと囲みながら不気味に飛び跳ね続けている。
私の心臓は震え上がって音が聞こえるほどバクバクしている。
恐怖にこわばる手でカメラにしがみ付いた。
リカオンよ、お願いだから去ってくれ。
とても長い時間に感じたが、幸いにも彼らは諦めて消えていった。
イギリスBBCの自然ドキュメンタリー番組さながらのシーンに、カテンボまでも
「こんなハプニングはめったに見られるものではないぞ」
とかなり興奮していた。
危機が去り、生きながらえたパンテール嬢の緊張と安堵が入り混じったような視線が脳裏から離れない。
水が潤い草が生い茂る豊かなオカバンゴデルタの景色だが、その中で動物たちは命を剥き出しにして真剣勝負で生きているのだった。
【第22話に続く】
<世界遺産へ Let’s オカバン Go!>
- 命を繋ぐ鎖の行方
- 境界の無いマルーラ酒場
ワクワクの旅フォトエッセイ、次回もお楽しみに!
出典: Cancer Council-Save your skin、在日オーストラリア大使館・サンスマートプログラム、
スポンサーリンク