連載|旅フォトエッセイ『PULA!〜アフリカの魔法のオアシスへ〜』第20話
*アフリカの大地に輝く天の川で意識が宇宙へ飛び、ゾウがうどんをすする姿を見て大笑い。高砂淳二シショーに教えて頂いた「心に響く写真」を撮る為に一番大切な事もご紹介!
子供の頃から憧れていたアフリカへ、フォトラベラーYoriがカメラを担いでついに足を踏み入れた。
日本を代表する人気自然写真家で、2022年には世界最高峰と言われるロンドン・自然史博物館主催のコンテストで日本人初の最優秀賞を受賞するという快挙を成し遂げた高砂淳二さんと一緒に、サファリを旅する大冒険。
南アフリカから、ボツワナの世界遺産・アフリカの魔法のオアシス・オカバンゴ デルタへ、アドレナリン分泌過剰な日々の珍道中を旅フォトエッセイにして連載しています。
未発表写真もたっぷり掲載!
【第1話はこちら】
”PULA”の奥深〜い驚きの意味は第7話でご紹介しています。
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Episode 20 <世界遺産へ Let’s オカバン Go!>
全ては銀河の一部だった
この日は、キャンプ場に戻りがてら天の川を撮ろうと三脚を用意して出発していた。
星空だけでは寂しいので、一緒に撮ったら絵になりそうな姿の良い木を明るいうちに皆で選んでおくことも忘れなかった。
撮影する時間の天の川の位置や角度がわからなかったため、どんな構図で撮れるのか想像が膨らんでいた。
思い起こせば、いろいろな場所で天の川を撮ってきた。
天空の鏡に映る天の川、ペンギンたちを宙から見守る天の川、アウトバックの大地を覆う天の川。
アフリカでの天の川も神秘のエネルギーをたっぷり写真に込めてくれることだろう。
先ほど繰り広げられたカバの糞霧攻撃と命がけの戦いを目の当たりにした興奮冷めやらぬまま、星空撮影スポットへと向かった。
太陽が隠れ、夕と夜の狭間で星の輝きが増していた。
広い大地にポツンと立った木のそばに到着し、はやる気持ちで車から降りて撮影準備をするが、はやりすぎて三脚セットにもたつくし虫除けを付けるのも忘れた。
降りた場所はぬかるんだ湿地で、当然のことながら盛大な蚊の歓迎を受けて痒いよ痒い。
しかし、蚊の羽音も痒さも忘れるほどの美しい星空が目の前に大きく広がっていた。
堂々たる天の川銀河だ。
立木の枝が天の川に触れようと手を伸ばしている。
一切の人工音や光の無い世界で、宇宙と真っすぐに向き合う。
46億年も前に地球はこの銀河の一部として生まれた。
だからこの木も銀河の一部だ。我々もまた然り。
そしてあなたもこの銀河を作っている一部なのだ。
実感は湧かないけれど、それは紛れもない事実。
満天の星、流星群、天の川、オーロラ、皆既月食、そんな幻想的な天体ショーに出会えた時は、思考がどんどん膨張していく。
そして心配事は小さく小さくなっていく。
+++
時計の短針が一回りし、昨夜とは違う天体が現れる時間がやってきたので、同じ場所へ戻ってみた。
いつもどおり今日も地球はきちんと回り、天の川と共演していた立木の足元から、今度は太陽という天体が姿を現した。
よく「太陽は東から登り西に沈む」とあたかも太陽が動いているかのように地球を主体とした表現をするけれど、これは地球の自転による現象に他ならない。
その回転を肌で感じることはできないけれど、同じ場所で夜と朝の表情の圧倒的な違いに触れれば、自転・公転を続ける地球が意思を持って生きているかのように思えてくる。
広大無辺の宇宙を身近に感じさせてくれるアフリカの大地のマジック。
今日という新しい1日が始まった。
頭でなく心で撮ろう
「こういう時は、明るめに撮ると雰囲気出てくるよ」
「あそこを背景にすると被写体が浮き上がってくるよ」
などなど、シショーは撮影しながらタイミング良く絵作りのヒントをくださる。
わからないことがあれば、何でも惜しみなく答えてくださる。
その高砂淳二シショーから最初に教えていただいたのは、
撮るものを、まず愛でる。楽しむ。カメラの設定を考えるのはその後。
という「頭ではなく心で撮る」ことだった。
地球との共存を大切にされているシショーならではの言葉で、私の中の何かが大きく変わった。
技術の進歩で、誰でも質の高い写真が簡単に撮れるようになったが、どの写真もが人の心を掴むわけではない。
料理でも愛情を込めて作るのとやっつけ仕事で作るのとではなぜか美味しさが違うように、ただシャッターを押したのと心を存分に込めた写真とでは何かが違う。
不思議と人の心に響くようになるのだ。
この見えないものこそが、違いを生み出す正体だった。
構図や設定ばかりに気を取られ、自分の心の高揚を織り込みながら撮影したことのなかった私にとって、この教えは光となった。
その光をたどるうちに、ファインダー越しに見える被写体を客観視するだけでなく、自分の意識を溶け合わせ被写体との境界を外してみたいと思うようになった。
並行して、その魅力を引き立てる撮影方法も模索し学んだ。
ある時、フォークランド諸島・サンダース島で忘れられない不思議な体験をした。
その島の斜面の一角にはアホウドリのコロニーがあり、ふわふわの羽毛に包まれたたくさんのヒナたちが、1羽ずつ土でできた台座のような巣にちょこんと座り、餌を捕りに行った親の帰りを待っていた。
アホウドリは日本にも生息しているが、過去に羽毛採取業者による乱獲で絶滅寸前まで追い込まれたことがある。
明治時代、高い値がつく貴重な輸出品とされたのが彼らの羽毛だったのだ。
翼を広げれば2メートルもある迫力に反して、この鳥は警戒心が薄く人をあまり怖がらない。
容易に捕獲できる「アホ」な鳥、そこからアホウドリと名付けられてしまったとか。
今では絶滅危惧種として保護されているが、人間の身勝手さが浮き彫りになる悲しい過去だ。
フォークランドのアホウドリもあまり人を怖がらず、そばに寄っても逃げようとはしなかった。
台座の上で首を伸ばしてこちらを見ている1羽のヒナと視線が絡み、あまりの可愛さに手繰り寄せられてしまった。
ふわっふわの綿に目とクチバシだけがくっついているみたい。
私も台座がほしいなぁなんて思いながらその子のすぐそばに座り、しばらく一緒に時間を過ごした。
時間の経過とともに緊張気味だったヒナの瞳が少しずつ和らぎ、好奇心の表情に変わり、引き気味だった身を乗り出して私を覗き込むようになってきた。
私自身も、驚かせてはいけないという緊張が緩み、話しかけながら体をそっと寄せてみた。
まっすぐに私を見る眼差しに吸い込まれた。
ああ、なんて無邪気で透き通った瞳なのだろう。
そうしているうちに、その子と同じ波動になったと言えばいいのか、お互いを100%受け入れ合ったという感覚を覚えたのだ。
気が合うとは、息が合うとは、ワンネスとはこの感じか?
音が消え、境界が外れ、意識が溶け合って一つになり、世界がこの子と私だけになった瞬間が確かにあった。
野生の生き物と魂の交流を実感できた初めての不思議体験だった。
シショーは、被写体と「気」を合わせることを合気道を通して磨かれたそうで、以前「最近、地球と息が合うようになってきたみたい」と、次元の違うことをおっしゃっていた。
自分がその域に達するには次に生まれ変わる時へと持ち越す必要がありそうだが、不思議体験以来「シャッターを切った瞬間、被写体と繋がる」という、一瞬だけ味わえる特別なワクワクを楽しめるようになった。
被写体が何であれ、その時、精神的距離の「間」は私の中で溶けて無くなる。
その感覚はいつでも私を「境界の無い世界」へと連れて行ってくれるのだ。
ファインダーの中の世界に入り込み、暑さを忘れ、寒さを忘れ、時間を忘れ、息をするのも忘れ、夢中でシャッターを押す。
被写体との「間」が消えた瞬間の高揚感。
シビれる 。
考えてみると、日本やオーストラリアのフォトコンテストで賞に届くようになったのも、頭ではなく心で撮り、被写体との一体感を覚えるようになってからだ。
人の心を響かせる見えない何かは、本格カメラで撮る自然写真に限ったことではなく、携帯電話で撮る景色や人物や料理写真でも同様なので、「心で撮る」をぜひ試してほしいと思う。
冷やしうどん食べ放題やって〼
今日は水上からのオカバンゴ・デルタを体験しようと、展望やぐら付きのボートをチャーターした。
どんな様子かわからないので延長可能な1時間クルーズでと話がまとまり、ボートは我々を乗せて魔法のオアシスを滑り出した。
水路はぎっしり詰まった葦の壁でできた迷路そのものだ。
辺り一面を飾る葦の穂が「おいでおいで」と手招きするように揺れており、我々も「行くよ行くよ」とぐんぐん進んでゆく。
迷路を抜けると、大地を潤す母を思わせる悠々としたラグーンが現れた。
養分を豊富に蓄えた水中には多種多様な生き物が生息しているのだろう。
水面には白い花を咲かせたスイレンが溢れるように広がっている。
そのスイレンの葉の上を小さな鳥がちょこちょこと上手に歩いているのが目に入った。
いいないいなぁ。
あれ?
なんで「うらやましい」という感情が湧いてきたのだろう。
おそらく子どものころに読んだ『おやゆび姫』の、姫がスイレンの葉に乗りモンシロチョウに引かれて水面を進むシーンに憧れたことがあり、それが心の奥に記憶されていたからだろう。
葉の上を歩くその鳥の名はアフリカレンカク (African jacana)。
何か違和感がありよく見てみると、あり得ないほど異常なまでに長いホラーな指を持っている。
体のサイズと指の長さは固定概念がぶっ壊れるほどのアンバランスさで怖いくらいだ。
しかしそれにもちゃんと理由があった。
大きく広がる長い指のお陰で不安定な葉の上でもバランスが保てるし、体重分散するので沈まずに歩ける。
環境に適応させた進化の姿かもしれないが、見れば見るほどエイリアンな指なので「うらやましい」は萎えてきた。
次に出会ったのは、ラグーンに入り込み水面に頭部だけを出してスイレンを夢中で食べているゾウだった。
食べ易くするために足で水底の地下茎をこそいで茎を切り離し、水面に現れた2mはあるだろう長く白い茎の束を飲み込んでいる。
これはもう、麺つゆに浸かったゾウが冷えたうどんを鼻で絡め取り、ズルズルッと口に運んでいるようにしか見えない。
うどんが口の中に消えたかと思うと、また次の麺束が水中から現れて勢いよく飲み込まれていく。
もう、うどん屋貸切食べ放題状態だ。
「冷やしうどん、うんめー」
と言わんばかりに鼻を高々と上げる姿を見て
「そりゃ美味いだろ美味いだろ」
とこちらもすっかりうどんモードになり、鰹節と薬味たっぷりぶっかけうどんが頭の中を占領し始めた。
船長がボートを少し移動させようとエンジンをかけると、食べ残しのうどんがスクリューに絡んでしまってさあ大変!というハプニングが起きたものの、このオイシイ光景をもっとたくさん食べたくなってクルーズを1時間延長した。
船の展望やぐらに上がると、水を抱いたオカバンゴ・デルタの原野がどこまでも広がり、全方向に平らな地平線を描いていた。
2019年に『ネイチャー誌』に発表されたミトコンドリアDNA分析による最新研究では、他の研究者からは懐疑的だという意見があるものの、ホモ・サピエンスが誕生したのはオカバンゴ湿地帯だろうと結論付けている。
この景色の中で我々の祖先が生まれ、途方もなく長い時間を絶えることなく進化しながら命を繋いできた事実を考えると、こんな自分ですら、人間として存在していること自体がすでに奇跡の証なのだとさえ思えてくる。
そうか、ありのままでいいんだ。
自分の長所も短所もぜーんぶそのまま受け入れればいいんだ。
これが受け継がれてできあがった資質なのだから。
未来へ何かしらのバトンを渡すために備わった性質なのだから。
眼前に広がるアフリカの魔法のオアシス、オカバンゴ・デルタ。
大型動物が移動しながら水路を作り養分を行き渡らせる。
その養分で茂る水辺の葦は魚の絶好の隠れ家になる。
そこに魚を狙う水鳥やワニが集まる。
水分補給と栄養豊富な水辺の植物を食べに草食動物が集まる。
そして彼らを狙う肉食動物が集まる。
オカバンゴの水が分厚い命の層を支え自然景観を作り、その自然景観が命を支えていた。
水から生まれた壮大な生命循環のドラマを感じながら、葦の大海原を流れてゆく風を肺の奥まで深く吸い込んだ。
食べ放題冷やしうどんで満腹になったゾウが陸に上がって行った。
延長した時間はあっという間に過ぎてしまい、後ろ髪を引かれながら我々も魔法のオアシスを後にした。
たくさんの貴重なシーンに出会えてお腹いっぱい大満足。
ご馳走様でした!
【第21話に続く】
<世界遺産へ Let’s オカバン Go!>
- これぞサファリのサプライズ!
- 火花散る瞬間
- パンテール嬢、危機一髪
ワクワクの旅フォトエッセイ、次回もお楽しみに!
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