連載|旅フォトエッセイ『PULA!〜アフリカの魔法のオアシスへ〜』第24話
*その言い伝えが現実になって欲しいと、アフリカの水を勢いよく飲み込む。今日はサファリ最終日だ。幸運にもリカオンの群れに遭遇。彼らの面白い民主社会的行動に笑いながらも日本人を垣間見た。
子供の頃から憧れていたアフリカへ、フォトラベラーYoriがカメラを担いでついに足を踏み入れた。
日本を代表する人気自然写真家で、2022年には世界最高峰と言われるロンドン・自然史博物館主催のコンテストで日本人初の最優秀賞を受賞するという快挙を成し遂げた高砂淳二さんと一緒に、サファリを旅する大冒険。
南アフリカから、ボツワナの世界遺産・アフリカの魔法のオアシス・オカバンゴ デルタへ、アドレナリン分泌過剰な日々の珍道中を旅フォトエッセイにして連載しています。
未発表写真もたっぷり掲載!
【第1話はこちら】
”PULA”の奥深〜い驚きの意味は第7話でご紹介しています。
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Episode 24
アフリカの手に掴まえられてしまいたい

「ごくごく、ぐびぐび、ぷはぁ~」
気温が上昇した砂埃舞う乾いた大地で飲む水は、何よりも美味しい。
全身に60兆個以上あるという細胞の一つ一つが、体内に入ってきた水を待ってましたとばかりに自ら吸い上げて潤っていくようだ。
食べなくても水と睡眠さえ取っていれば数週間は生きていかれると言われるほど、生命維持に水は欠かせない。
その水がアフリカの水だった場合…。
この旅の始めに、南アフリカでドライバーの一人に教えてもらったのが
「アフリカの水を飲んだ者は、またアフリカに帰る」
という言い伝え。
サファリ最終日という名残惜しさもあり、将来またアフリカを訪れる事が出来るのならこの言い伝えに便乗しようと、願いを込めながらもう一口体内に水を流し込む。
全細胞に染み渡って、記憶して、私の一部になっていけ。
合理的な根拠など無い言い伝えだが、それを素直に信じさせてくれるのがアフリカの大地の不思議さなのだ。
伊集院静氏の作品に『アフリカの王』(講談社)という実話をもとにした小説がある。
タンザニアの画家S・G・ムパタを世に知らしめた、バブル時代の日本人雑誌編集者の話だ。
ムパタの作品は、キャンバスから飛び出してきそうな躍動感を振るわせた動物たちを、力強くコミカルにそれぞれの特徴を無骨に際立たせ、独特の色彩で命を吹き込んでいるような、一度見たら忘れられないインパクトを持っている。
私が行った日本での初展示会は、その日本人編集者の尽力に寄るものだと知り夢中で読んだ。
小説の冒頭にこんな一節がある。
”アフリカの手”っていう言葉があるんです。一度アフリカに足を踏み入れた人間はアフリカの手に掴まえられてしまう。その手にいったん掴まえられた人間は、どんな場所へ行っても、必ずもう一度このアフリカの地へ戻ってくるって言うんです(上巻23頁)
主人公の編集者に現地在住の仕事仲間が「アフリカの手」の存在を説明する場面だ。
天真爛漫なアフリカと言うよりは、どことなく意味深でミステリアスな空気を漂わせたこの部分の表現が、なぜか心に深く刻み込まれてしまった。
小説の中には何度も「アフリカの手」が出てくる。
帰国したその日本人編集者が友人にムパタとの出会いを説明するシーンもその一つだ。
彼は握手をしたムパタの大きく柔らかな手を「アフリカの手」だったのかもしれないと感じている。
作者は、その事を話す時の彼に「掴まえられる」ではなく「抱擁される」と言わせており、主人公のアフリカに対する心情の変化が読み取れて興味深い。
うん、アフリカ大陸に一度でも足を踏み入れた者は知らないうちに”アフリカの手”に抱擁されているという言葉があるんだ。一度 ”アフリカの手” に抱かれた者は、それからどんな遠くに離れて行っても、生きている間に必ずもう一度アフリカの地へ戻ってくるというんだ(上巻118頁)
私はアフリカの手に掴まったのだろうか。
抱擁されているのだろうか。
もしまだなら、この身を差し出すのでそのアフリカの手で掴まえて欲しい。
しっかり抱きしめて欲しい。
強く引き寄せて欲しい。
またこの大地と一体になりたい…。
なんて、少々右脳が暴走気味だが、飲んでいるのはまだ水だけだ。
「ごくごく」の前に「プシュッ」という一言を加えるだけで缶ビールに早変わりするが、それはディナーのお楽しみに取っておこう。
まだまだモーニングティーの時間帯だしね。
カテンボのサファリカーは、我々を潤すオアシスに変身する。
ムーサが焼いてくれたマフィンやサンドイッチを頬張りながら遠くの地平線を目でなぞり、地球を実感する幸せ。
野生動物が点景となり景色に趣きを添えている。
今朝は猫カフェならぬ青空キリンカフェだ。
真っ直ぐに生きる野生動物たちと同じ大地に立ち同じ空気を吸うことが、いつかまたできるのだろうか。
私の心を揺さぶったムファサ王やパンテール嬢の残像が私の「アフリカの手」になるのかもしれない。
そうだ、カテンボやムーサもいた。
お別れの時はしっかり握手をしておかなきゃ。
リカオン式、空気読めよ的な民主主義
リカオン(アフリカンワイルドドッグ)の群れに遭遇した。
狩りの成功率が80%に届くというアフリカ最強のハンター軍団であり外敵がほとんどいないにも関わらず、残念な事に彼らも絶滅危惧種に指定されている。
アフリカ大陸全域で7000頭に届かない個体数にまで落ち込み、大陸北部・西部ではほぼ絶滅の状態に瀕しているのだそう。
このパックと呼ばれるビッグファミリーに出会えるのはオカバンゴでも珍しい事なのだ。
21話で、パンテール嬢を追い詰めるリカオンのジャンプする姿を「悪魔のあざけりのよう」と表現し悪者な印象を残してしまったので、ここで敬意を表し汚名挽回させて頂こう。


彼らは非常に高度な社会性を持っていて、仲間と助け合いながら絆を大切にして生きている。
もちろん狩りもチームで行われるが、犬と同じように声や触れることでコミュニケーションを取ったり、獲物が確保できれば子供や老齢、怪我をした仲間に食料を運び与え、全てを皆で分け合って食べる。
しかしその社会性が、皮肉にも絶滅危惧を引き起こした要因になってしまったのだという。
コロナ禍を経験した我々には容易に想像がつくが、リカオンも感染症には脆弱で、一頭が感染すればあっという間に群れ全体に広がるという危険を孕んでいる。
しかしそれだけではなく、個体数激減の原因は人間にもあった。
世の中が貨幣社会になると、アフリカの農家にとって家畜はお金に変えられる大切な資産となった。
リカオンには家畜かそうでないかの判断はできないから、放牧されている牛を襲撃することが起きる。
この流れは想像に難くない。
しかし農家には経済的打撃となるので、リカオンは家畜の脅威だとして駆除されるようになった。
前述したように、リカオンは食料を分け合う為、農民が与えた毒で群れを全滅させることが容易に出来たのだという。
リカオンにも、人間の都合による悲しい歴史があったのだ。
話は逸れるが、今ではペンギンの楽園と称されるフォークランド諸島でも、脂肪が多いペンギンを燃料として使い個体数が激減したという過去がある。
これも人間の都合で起きた悲しく恥ずかしい事実だ。
(下の記事は、絶滅の危機からペンギンの楽園に戻れた皮肉な理由も紹介しているので、興味があれば是非ご覧ください)
![]() |
『フォークランド諸島旅行記・前編 ペンギンと紛争と地雷の意外な関係』 |
自分としては、写真やエッセイを通して一人でも多くの方が
「美しい地球の姿や営みを壊したくないなぁ」
という意識に、力んだり背伸びをせず、自然体で気付いて、無理なく出来る事から行動に移してもらえれば、と願いながら伝えている。
気付きや自発的な行動は、強要されるよりも真の力があり長続きすると信じるからだ。
それゆえに、悲しい現実を突きつけるという伝え方は本望ではないのだが、事実を知る事で地球と人間の関わり方、環境と自分の関わり方について考えるきっかけになってくれればと思っている。
発信器をつけたリカオンが居た。
縄張りを持たない彼らの行動範囲は広い為、発信器によるモニタリングが生態研究や保護活動に役立っているのだそう。
このような姿を見ると、一つ一つの命の重さが更に重みを増してくる。
+++
後日リカオンについてリサーチしているとき、彼らに大変面白い民主社会的行動がある事を知った。
それはなんと「くしゃみ」による意思決定。
これは2017年9月に「英国王立協会紀要B:Biological Sciences」に掲載された米英豪の研究チームの大発見によるものだ。
リカオンは「おい皆んな、狩りに行こうかと思うけど、どうよ?」的集会を持ち、くしゃみで意思表示をし、その回数で狩りに出るか否かを決定をしているのだという。
吠えたり唸ったりする方が簡単だろうに、何故にくしゃみなのだ??
はっきりと自己主張せず、遠回しに「ハクション!」とだけ聞かせて、意見の違う仲間に対し配慮しているのか?
場の平和な雰囲気維持を優先させているのか?
空気読んでなんぼのチームワークなのか?
君たち日本人か?
理由は謎だらけだが、独裁でも封建的でもなく、非常に民主的で団結力のあるリカオンの群れなのであった。
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ワクワクの旅フォトエッセイ、次回もお楽しみに!
参考資料・出典:ナショナルジオグラフィック、JETRO、WILDLIFE ACT、BBC、『アフリカの王』伊集院静(講談社)
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